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2018年6月6日水曜日

私の一人暮らし経験記 その1


自分がパラサイトシングルであると名乗るのが適切かどうかはわかりませんが、私は基本的に実家暮らしです。現在も実家のマンションで暮らして、仕事をしております。

ただ、過去に、約1年の一人暮らしを2度経験しています。私は『二年間の休暇』になぞらえて、自らの一人暮らしを『一年間の休暇』と呼んでおります。

今回は、その1度目の一人暮らしの経験を書きます。

実に様々なことがあった1年間でした。中でも最大の経験は東日本大震災でしょう。そして、他とは比較にならないこととしては、父親がこの世を去ったことがあります。

できるだけ順序立ててお話したいのですが、あまりに多くのことがあったため、整理しきれない1年間です。

部屋は1Kのアパート。風呂付きです。この一人暮らしの時は炊飯ジャーも洗濯機もなく、トースターでパンを焼き、コインランドリーで洗濯する暮らしでした。

そもそもの発端は、修士論文を完成させるために自分一人の空間を手に入れることが目的だったのですが、修士論文は完成せずに大学院は中途退学となりました。

しかし、大学院を辞めると同時に、私は翻訳の勉強を始めたのです。通った翻訳学校はフェロー・アカデミーでした。

私はこの時期に横山啓明先生に出会います。夕暮れ迫る一人の部屋で、課題の訳出に励んだ時間は、私の人生でも最良の経験だったと言えます。大学院で失敗したばかりだった私にとって、添削原稿に常に90点以上をつけてくださる横山先生の優しさが、どれだけ救いになったか、わかりません。

そして、それと時期を同じくして、私は父親を失います。苛烈な介護の果てに、父は入院先で敗血症で息を引き取りました。私は父を看取りました。亡くなる前の5分間、父は母のことも姉のことも見ずに、ただひたすら私を見つめていました。もう喋ることのできないその目は、私に、「違うぞ。そうじゃないんだ」とひたすら訴えているように思えました。

何と違い、何とそうでなかったのか、それは私にもわかりません。おそらく、私の生き方に関する父の最期の問いかけだったのでしょう。

家のことに話を戻すと、私の一人暮らしの部屋はあまり快適なものではありませんでした。一言で言えば、おそらく、何かが「憑いて」いた部屋だったのです。いわゆる「霊的瑕疵のある物件」です。この点について、具体的な説明は控えます。

そのような部屋で消耗しながら、私は翻訳の勉強を続けました。そして、この1年を締めくくる良いニュースとともに実家に帰りました。

英検1級に合格したのです。

英検1級に合格することと、良い翻訳者になることの間に、どれほど深い溝があるかは当時の私は知りませんでした。

ともあれ、こうして、私の翻訳者としての生活は、とうとうスタートしたのです。

次回は2度目の一人暮らしについて触れようと思います。

Have a nice afternoon!

See you soon.


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